ちょっと考えると皇室や側近貴族には明治天皇を見知っている人達が沢山いるのだから、すり替わったりしたら、すぐに気づかれてしまうだろう、と思われます。

しかし「すり替え説」を主張する人達は、孝明天皇が保守的で明治維新反対派であったことから、愛想をつかしていた貴族や側近が多数おり、その人達にとって「すり替え」は都合の良いことであり、一応、南朝天皇家の直系の子孫でもあるので黙認した、としています。

確かに動乱期に16歳の天皇では危なっかしいと思われても仕方ないかもしれません。
そこで「確実に維新を進めるために」すり替えが行われたというのは「全く有り得ない」と否定する根拠はないのです。
もちろん肯定する根拠もありませんが…。

また「天皇陛下や皇室一族に謁見する」という機会は貴族であっても「滅多にあることではなかった」というのは事実のようですので、並みの貴族連中には気が付くはずもなかった、という解釈は成立しそうです。

つまり、仮に「すり替わった」としても気が付ける人達は予想以上に少なかったようなのです。
まして孝明天皇存命時に、後の明治天皇となる少年を良く見知っている人達は極めて限られていたのは事実です。

その「限られた人」の中に、後に元老となる西園寺公望がいます。
西園寺は明治天皇の学習院時代の学友であり友人でもあったのです。
その西園寺が何も言っていない、という事実は私の中では結構、重大な事実で、私自身は「西園寺公望が何も言っていない」ことを持って、この説に対しては否定的な立場です。
西園寺公望は有力な貴族であり天皇陛下に謁見した可能性が高いと思われるからです。