そもそも、鎌倉時代は親の財産は子供たちに平等に分割相続されたのですが、百年のあいだこれを繰り返してきたので、社会的な矛盾が元寇の戦後処理を通じて一気に噴出したのです。
 ただ、ときどき「元寇が遠因で鎌倉幕府が滅びた」式の説明がなされますが、それは言い過ぎです。
弘安の役が一二八一年で鎌倉幕府滅亡が一三三三年ですから、日本人が「モンゴルが鎌倉幕府を滅ぼした」というと自虐がすぎるでしょう。
 歴史学者の先生方は何か歴史に合理的な説明、しかも必然を求めたがります。
しかし歴史は人間の営みなのですから、何か科学法則のようなものがあって、何度実験しても必然的に同じ結果になる、などということはないのです。