>>716
> 盛時も長氏も新九郎の諱
 
>>662の永正元年十二月五日条を参照されたい。
その前もその後も「宗瑞」自署で文書を発給している。
出家済の者が外交文書、それも高野山宛に在俗時の実名を自署することはちょっと考え難いように思う。
繰り返すが自分はやはりこれを法名と見る。
 
貴論に有利な材料としては161に書いた後期型の花押が「長」「氏」の字画を組み合わせたものだとの説があること。
後期型は正に「宗瑞」初見と共に出現するもので161に書いた「盛時」当時の前期型とは似ても似つかない。
実名「長氏」期があるとすれば第二次駿河下向から出家直前までという蓋然性が高くなる。
その場合は上記の疑問をどう解くか。