一つ疑問がある。
中世の「道」は公共物にして公共物に非ず。
区間毎に権利者や支配者が独善的な管理を行っていて、
それ自体が高度に政治的/軍事的なカードだった。
隣国間の戦争に際して街道封鎖が実施された事例は枚挙に遑が無い(齋藤慎一氏の研究等)。
 
作中設定では既に斯波が対今川開戦を決意している。
東海道の遠江区間や河海の湊などは厳戒態勢に入っていた蓋然性が高い。
旅人の身元行先用件等は厳しく詮議された筈だ。
僧侶連歌師行商人職人の類ならともかく、
全員武士の一行が「駿河今川宗家御一門衆伊勢新九郎盛時の縁者が盛時の在所に行きま~す」と云って通れるわけがない。
伊勢盛興らは一体どうやって突破して来たのだろうか?