>>286
延徳三年の伊勢盛時の動向からみて>>287が妥当であると思われる。
 1. 七月一日 堀越御所クーデター
 2. 八月十日 伊勢盛時在駿確定
2は1を受けてのことだとされる。
1の報知が京都に届くまで(伊豆~京都)の日数と2までに要する盛時の旅程日数(京都~駿河)が概ね同じと仮定して、
対応協議、旅支度及び事務手続の日数若干を差し引くとそんなものかと。
伊勢盛興ならこれと同等、
伊勢盛定(老人)が伊勢氏時(幼児)を連れていたらもう少しかかるか。
 
全くの余談。
百二十数年後の慶長十九年、
羽柴茶々・秀頼母子と片桐且元との決裂を徳川家康に告げる飛脚は大坂から駿府まで二日(!)で着いた。