>>857
また、その読み方では扇谷定正の声無き慟哭も読み切れない。
 
定正は家中から激しい突き上げを喰らいながらも、
それを一旦排して己独りの眼力を以て太田道灌の真意を確かめるべく裸で向き合う場に道灌を招いた。
そして最終決断さえ最後の最後まで留保した。
 
「御下知は?」
「下知は無い。予定通り。」
道灌斬殺の為に控える曽我兵庫との会話がそれを物語っている。
殺害実行担当者の兵庫にさえ「予定」を変更する下知、
即ち土壇場で殺害を中止する可能性を言い含めていたことが明確に解る。
 
あくまでも一対一で道灌の真意を見極めて、
しかもその真意が純粋に扇谷家隆盛に在ることを確認しながらなお家の生き残りの為の綜合判断として、
共に幾つもの死線を超えた永年の戦友道灌を誅戮せざるを得ない、
その不条理に対する憤怒と絶望が定正の血涙となって噴出している。
今話の「やかましい。」も「部外者に何が解る?」という虚無の表出ではないのか。
 
なお、
これは凡百の下らない陰謀論等を斥けて当事者双方の一次史料たる『太田道灌状』『上杉定正消息』のみに拠った描写であろうことを付言しておく。