>>563
既に他の人が書いてくれたように、
享徳ノ乱に於ける小鹿範満の関東出兵は本来駿河守護今川義忠に下命されたもので、
越後守護上杉房定や前駿河守護今川範忠の如く守護自らの出陣が期待される所だった。
また禅秀ノ乱や永享ノ乱なども併せてこのような事態で出陣が義務付けられているからこそ関東境目の守護は在国が許されていた。
義忠はそれを全て反古にして自家の都合に固執し続けた。
結果、義忠名代として小鹿範満が幕命を執行する恰好になった。