>>130
なんであんたはヒルドが復讐のため自主的についてきてるって大前提を無視するんだ?それにトルフィン以外の仲間を彼と同罪と見るような描写なんて全くないぞ?
ヒルドは言わば査問官(兼処刑人)としてトルフィンを監視するために同行してるわけで、それゆえ
彼らと一線を引いてるのに過ぎない
つまり立場的には本来トルフィンより上なわけ

だから今ヒルドが彼らと不器用ながら交流を持ったり協力したりするのは誰かに強制されたものではなく自発的な貢献心の発露であり、それが誰かの役に立ったり助けになったり喜ばれたりすることで
復讐のために人生を捧げる虚しさと孤独から解放され、他者に必要とされることで自己の存在意義を肯定するに至り孤独感は癒され幸福感を得ることができる、
それこそが作者が描きたい救済や幸福の在り方だろう
なので、本人に自覚はなくとも既に救済は少しづつ進んでいると言えるんだ

これはアドラー心理学にもあるが、共同体の中で誰かに喜んでもらえたり必要とされる他者貢献によって得られるものが幸福と言える
(他者に認めてもらうために行動するのは見返りを求める承認欲求なので少し違う)
例えば道端で転んだ老人を助け起こしたら感謝されて嬉しかった・道に迷った人に教えてあげたら感謝されて嬉しかった、のような
心のギブアンドテイク、つまりそれがヴィリバルト神父の見解とは異なる"無償の愛"だと思う
幸村誠作品の根底に流れる"愛"というテーマ。これで繋がらね?

神ならぬトルフィンにはヒルドの家族を蘇らせることはできないし、誰もヒルドの悲しみの記憶は消すことはできない以上
彼女自身が幸せの形を見つけることでしか怒りも悲しみも癒やすことはできないのよ。
だから、あんたの言うような金品や言葉での謝罪のような、世俗的で表面的な薄っぺらい救済でヒルドが喜ぶような描写は作者も読者も望んでないんだよ

長文失礼