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秀吉の指示に大名らが背いた例

八道国割(大名らが現地会議で明に攻め込まず朝鮮各地への派兵と分担を決定)の決定を受けて
秀吉は朝鮮は後続の大名にまかせて、四国、中国大名先鋒に明に攻め入れと命令するが大名ら無視
結局大名が動かないので秀吉が八道国割を認める

1592年2月漢城に籠城中の諸大名に対して
開城(漢城の北の都市)を再奪取せよ。開城に進出して漢城と挟撃して明を潰せという命令を無視。

慶長の役で忠清道から全羅道北あたりまでに城をつくって迎撃しろと命令するが
諸大名で会議を開いて朝鮮南端まで下がる。

あと細かいことを言うと文禄の役の撤退も、秀吉の許可を受け取る前に、現地大名で交渉して撤退している