>>242
慶長は統治が目的ではなくて、都市は占領して住めなくなるまで殺して壊すのが目的。防衛のための城は自作する。

大名行列は行軍で必要な時間的コストなる設営と食事の準備がカットできるので通常の軍事行軍とは比較できない。
三日路四日路が行軍速度ではないというが、文禄慶長関連の史料にある日路に関しては行軍速度だけと言ってもいい。
例を抜き出す
・大唐へ之海道筋、都よりニ日路之所に船渡之川(臨津江)御座候に付きて(加藤清正書状)漢城→臨津江 40km 20km/d
・安辺郡より都迄十日路程御座候(加藤清正書状)漢城→安辺 250km 25km/d
・都より三日路先、かせんほ(開城)と申所に戸田民部殿(梨羽紹幽物語)漢城→開城 60km 20km/d
小西が馬を乗り継いで4日で踏破したことや、君の経験がどうとか意味がない。
史料に書いてあることだけで判断すると、秀吉の言うソウルから五日路六日路は100〜180km、つまり忠清道南から全羅道北あたりを想定している。

あと1592年6月に明に進撃せよという秀吉の命令を大名らが誰も守らなかったことを認めたということでいいんだね。