>>240
>小早川は全羅道方面担当。そっちの方面は維持したままだ。
小早川と立花は全羅道方面から前年の9月には撤収してるよ。全羅道からの撤退もよく考えたら
秀吉の認可なき軍事行動だね。1593年に小早川が全羅道に駐留してたのなら史料だして。
小早川は漢城の合議で漢城と平壌の間にある開城の配置になり、秀吉は後からこれを追認。
秀吉の決済待ってたら、現場の変化についていけないから、こういうことはしょっちゅうおこる。
それから>>179にも間違いがあって、小早川は碧蹄館の勝利後に開城を放棄したのではなくて、
明が来る前に開城をすでに放棄して漢城に戻ってるわ。漢城に戻って合議してからの碧蹄館の戦い。
大友と黒田小早川の違いは、現地大名らの合意があるか否か。
最初から言ってるように、大名らの合意があれば秀吉の命令がどうであれ退却しても、担当していた
地域から逃げても処罰されない場合がある。