>>94
5月下旬に大名らが八道国割を決定までなら、君が言うように「好戦的命令違反」ということもわかる
しかし秀吉は6/3に明国への進撃を指示。
その後現地で八道国割して朝鮮内の制圧に動いたときき、6/13に再命令。
6/13の朱印状の内容は八道国割はやめて6/3の朱印状どおり明に攻め入れという命令。
これに対して大名のとった行動は、誰も動かず
7/15に大名の八道国割を追認。明への攻撃命令撤回

まず大名は6/3の朱印状で動いてないし、念押しとなる6/13の朱印状でも動かないんだから明らかな命令違反。
文禄慶長の朱印状のやりとり履歴をみればわかるが、一ヶ月あれば朝鮮のどこでも到着する。
仮にいくつかの大名に未達があったとしても、すべての大名が動いていないので命令違反明らか。
でも全員で命令違反すれば秀吉は処罰できないという前例となった。

>明軍を撃破したら明から交渉の使者が送られてきたので方針がかわった
ちなみに明が攻めてきたのは7/12なので、小西以外の大名と秀吉に明の襲来は影響を与えていない。
秀吉が撤回したのは7/15だから明の襲来を知らない