>>117
>>141
江戸城には少なくとも後北条時代には後の天守閣に相当する小規模な楼閣がありそれが141が言う静勝軒なのだが、太田道灌時代はあったか不明とされる。しかし太田道灌は主君の上杉定正が嫉妬を覚え最期に暗殺されるようなイケイケな家宰なので、同時代の京の金閣寺、銀閣寺のような当時としては珍しい楼閣を建てたとすれば、第52話のような3階建てくらいの建造物が道灌時代の江戸城にあったという想定でゆうき氏は描いたのではないかな。

江戸城から富士山が見えるのは、今の皇居から赤坂御所方角を見た場合と思われ、毎日新聞(パレスサイドビル)あたりから平川濠方面を眺めるとこんな感じかも知れない。とするとゆうき氏の描写では平川濠に面した切り立った台地の上の「最高部である北端」つまり徳川期の本丸跡とほぼ同じ場所に静勝軒があることになるね。

ゆうき氏が編集担当さんに江戸城からの富士山のイメージを相談して、毎日新聞あたりから題材になる写真を撮ってもらったのかもね?