>>290
文永の時の明軍の先陣の祖承訓は攻めてきて小西に速攻で返り討ちにあって壊滅
李如松は碧蹄館で壊滅して逃げ帰って、そのあとは軍事活動ができなくなった
ほかの明軍は日本軍との決戦をさけて逃げた

慶長の役においては南部二州を蹂躙したときにはろくに戦わず撤退
蔚山城奪回に麻貴軍が朝鮮軍一万あわせて六万で押し寄せたが、軍の半分を失い壊滅的被害をだして撤退、
再度攻めてきたが、伏兵などにやられ撃退される。二回目は三万ほどになっているので文字通り半分は失い補充も出来なかったのだろうね。
泗川では董一元軍が島津無双をくらってしまい、四万近い被害をだして軍が壊滅
順天では劉てい軍が小西の守る城を攻めあぐね被害を多数だす。その後小西が撤退した後に占領
ここはそこまで大損害はうけてないかな。
明史では明軍は10万の被害をだしたとあるので、ついでにやられた朝鮮軍などもいるだろうが、
日本側の戦勝報告と明軍の被害数はおおむね一致しており。
だいたいあってると思われる。