>>946
まるで瞬間湯沸かし器だな
もう一度アンカー追って読んで頭を冷まして味方を撃たないようにした方がいいよ
ちなみに中野さん以外にも同様の事欠いてる有名研究家は多くて
もちろん引用元の書籍を読めば史料も添えられている
一部を提示しよう

藤井譲治 「天下人の時代」 P116 
六月初めの渡海を予定していた秀吉にとって、この報(玉浦・合浦・赤珍浦での海戦の結果)は大きな衝撃であり、
朝鮮南部の制海権を確保しないままでの渡海は、あきらめざるを得なかった。日本側の史料では、秋にかけての天候が
秀吉渡海をあきらめさせた理由とするが、本当の理由は制海権確保があやうくなった事態こそ渡海中止の理由であった。
山内譲 「豊臣水軍興亡史」 P172
秀吉が自身の朝鮮渡海にこだわっていたことは先にみたとおりであるが、その渡海はついに実現することはなかった。
それはこのころ李舜臣ら朝鮮水軍の活動が再び活発になったからである。
藤田達生「秀吉と海族大名」 P162
同年七月になると、閑山島・安骨浦の海戦で李舜臣率いる朝鮮水軍との海戦に敗北して、秀吉の渡海は見送られる。