>>383
>関ヶ原:豊臣家内の権力闘争で両陣営とも秀頼には忠
これはそうだが
>大坂の陣:朝廷から武家の統率者として認められた徳川家
征夷大将軍=東国を討伐する者であって、武家の統率者ではない。
武家の統率者であるとし、頼朝・尊氏・家康とその政権を同一視するのは江戸後期の史観。
関ヶ原の戦後処理では西国は羽柴系、東国は徳川系の大名で固まっており、家康も自身の
長寿や今後の展開が読めなかった段階では、東西で住み分ける二重公儀体制で行こうと考
えていた様だし、事実当分はそれが機能している。
一番時代が下ると1612年になっても九州の寺沢や松浦は秀頼の豊臣姓下賜の対象。