1592年、名護屋城に向かう道中の豊前国小倉での宿取りをきっかけに佐竹氏との間に遺恨が生まれ、これを解決するために佐竹義宣と直談判しようと少人数で宿所を訪れたところ、佐竹家臣衆に腕をつかまれ制止された上、地面に突き倒されるという狼藉を働かれた。

挙句の果てに馬印を踏みつけられ、原因となった家臣が斬られたため、這う這うの体で退いたという。

この時、仙石秀久や真田昌幸をはじめとした信濃国中の大名らが秀頼に同心して報復を加えようとしたというが、結局両陣営ともが自重したためにそれ以上の抗争には発展しなかった。


河内侍従のwikiより