キリスト教的に言えば神は己の似姿として人間を作った
しかし人間は神の愛を理解し得ない
ここで「神は何故そのように不完全に人間を作り、そのままにしているのか?」という疑問が生じる
そして「つまり神は己が作った人間など愛していないのだ」という結論に至る
次に「神が与えないのなら人間の力で成し得てみせよう」という決意につながる
ここまでで何かおかしい点はあるかな