珈琲を飲み干し、空き缶をゴミ箱に入れた。カラン、という音が山の空気の中で思いのほか遠くまで届いた。
帰路のカレラTは行きより軽かった。
ガレージにカレラTを止め、玄関を開けると、珈琲と卵の匂いがした。テーブルにはトーストと目玉焼き、それとグラスに一輪、小さな菜の花が挿してあった。
目玉焼きと菜の花の黄色がやけに鮮やかだった。
「早かったね」と妻がキッチン越しに言った。
どきん、とした。
「山桜が咲いてた」
「本当に?」
「まだ少しだけど」
妻の淹れた珈琲を飲んだ。缶珈琲より熱くもなくて、苦くもなかった。窓の外で朝の光が伸びていた。シャワーを浴びスーツを纏いながら、峠のボクスターのことを一度だけ思った。苦い缶珈琲の味を舌の奥に感じた。
それで十分だった。