「名誉ある孤立」を選んだ“窓際商社マン”

私の大学以来の親友にお公家さんのようにおっとりした男がいます。
彼は卒業後、一流商社に入ったのですが、生き馬の目を抜くような商社マンの世界にはまったく向いていなかった。
早々に閑職へと追いやられて、定時出社定時退社するだけという生活になってしまいます。

ある時、会社で何をしているのかと聞いてみたら、「毎日、『今日は何をしようかな』と思いつつ会社に行って……でもまあ、これといってすることもないからさ。
新聞を読んだりかなぁ」とにこにこ笑っている。

こういう人はしょせん商社なんかには向かないよなあ、と私は思いましたが、しかし、彼はそんな日常を苦にする様子もなく、いつも天気晴朗にして無欲恬淡たる日々を送っていました。
おそらく彼もまた、名誉ある孤立を楽しんでいたのでしょう。

そんな調子で彼は50歳を前に早期退職。
その間、大きな仕事もせず、世俗のヒエラルキーにも全然関わらず、まず家が資産家であることもあって、悠々たる人生を歩んで、今は人間的に頗る味わいの深い70老人になっています。
誰もが真似できることではありませんが、一つの生き方の参考にはなりますね。

そういうのと反対に、往年の栄光が頭に残っていて、いらざる知識を振り回す、すなわち、自分はこんなことを知っている、しかし君たちは知らないだろう、というようなことを喋々する……
これを衒学僻といいますが、特に年寄りになると、そんなことを振り回す人が多くなってくるように観察されます。
これでは周囲に嫌がられ、不名誉な孤立になっていく一筋道です。
群れず、威張らず、でも信念は曲げない

名誉ある孤立を保つためには、そういう無駄な見栄、承認欲求からすっきりと離れ、俗世の競争意識から身を引き、自分は自分だ、という確乎たる意識を大切にしながら生きるということです。

群れることなく、威張ることもなく、でも自分の信念は曲げない。
そのうえで、70歳なら70歳からなりの、80歳なら80歳からなりのやり方で何かを学ぶこと、いつだって前向きに進歩していこうという心がけこそ、老いてもっとも肝心なところです。
そこで共通の興味や趣味を持つさまざまな年齢の友人ができれば、おもいがけず世界が広がり、現役時代とはまた違った楽しい生活が待っています。