本当に優れた神なら、XRPではなくETHを作ったはずだ

XRPを信仰のように語る人たちは、「これは神に選ばれた通貨だ」と主張します。しかし、もし本当に優れた存在が通貨を創るなら、それはXRPではなくEthereum(ETH)だったはずです。

なぜなら、XRPは投資家に対して「信じて待ち続けること」を求める一方で、現実としての見返りは乏しいからです。

何年も価格が上がらず、SECに訴えられ、実用事例も限られています。それなのに創業者であるリップル社はXRPを定期的に市場で売却し続けている。信者が買い支える構図は、信仰というより搾取に近いものがあります。

一方、Ethereumはまったく違います。ネットワークに参加することで報酬が得られ、貢献すればするほど自分に利益が返ってくる仕組みです。ガス代やステーキング報酬などは、開発者やユーザーなど、実際に行動した人に還元されるよう設計されています。

Ethereumでは、創造主が恩恵を独占するのではなく、民衆にその力を分け与えます。価格だけでなく、実用性も技術の進化も、すでに現実の成果として現れています。

本当に優れた神が存在するなら、苦しみや試練ではなく、参加と貢献に報いる公平な仕組みを作るはずです。信仰ではなく、構造そのものが答えを示すべきです。

つまり、XRPが信じる者を試す通貨なら、
ETHは貢献する者に報いる通貨。

そして今、私たちは信仰ではなく構造で通貨の価値を判断する時代に生きています。