よほど無頓着なファンでなければ、作品と作者を分離できない。
それらは表裏一体で、作者も作品であり、作品も作者だ。
文学ではよくあることだが、ファンはフィクションである作品よりも、それを書いたリアルな人間としての作家に、作品よりも親愛の情を抱くことがある。
作品を読むとき、読者は単にテキストだけを見るのではなく、「この作品を書いた作者とはどういう人間か」という像を組み立て、その作者像を通して作品全体を楽しむ。
作者は単なる作品の外部にいる人ではなく、作品群を束ね、意味を与える存在として作品内部にまで入り込む。
実は作品を読むこととは単なる作業ではなく、もっと情緒的なものだ。

好きな漫画家について、

「このキャラクターが好き」

「この世界を作った人が好き」

「この感性、この笑い、この悲しみ、この人間観を持っている人が現実世界に実在している」

「作品以上に、この作者自身に親しみを感じる」

という縁起が起こる。

宮崎駿なら、映画だけでなく、宮崎駿本人の思想や仕事ぶりや発言、人生、見た目まで含めて「宮崎駿作品」と感じる人がいる。

ベルセルクで描かれるパックは、三浦健太郎とそれ以外では別の存在だ。

AIの描いた絵と手描きの絵に感じる差異もこれに起因する。