茶々妊娠も秀次切腹も秀吉の「花を捨てて実を取る」特徴が「実はどうあれ花が綺麗に見えればいい」と逆転してる表現になってるんだよな
だから他人や事件の表面的な態度にしか目がいかず諫言を読み取れないし自己像という花を際限なく拡大する夢を止められなくなってしまった
秀吉にとっては真心は他人に実を期待することなんだけど誰からとってもそれは秀吉に見せる上辺の花にすぎないというのが当然の道理なんだけど痛々しい